僕は株の研究と同じくらい運気の研究をしてるんですが、運気を上げる方法は確実にあると思う。結論から言えば、自分で自分は運が良い人間だと思い込むこと。これに尽きるんじゃないかな。
例えばテーブルの上にコップがあるというのはコップが初めに存在するからこそコップが識別できる。いわば唯物。でも例えば「勇気」であるような目に見えないモノは心に思うことによって生まれる唯識のモノであると思うのね。運気というのは確実に後者で自分は運が良いと思い込むことで生まれるものなのではないかと僕は思っているわけです。
なんだそりゃ。となってしまうと思うのだけども、運の良い人間って僕の観察ではみんな福福しいんだよ。運というのは基本的には人間が運んでくるものだから、陽のオーラを出すことこそが重要だと思うのね。だってさ、負のオーラをぷんぷんに出している人間と関わり合いたいとは誰も思わないでしょ。そして陽のオーラを身に纏う方法って何かと考えれば、自分で自分は運が良いと思い込むことに他ならないと思うんだよな。
だから僕は自分は運がMAX良い人間だと思い込むことにしてる。だからこそ取り組んでいるのが宝くじ事業なのね。
宝くじというゲームは完全に運の要素のみで勝敗が決するゲームだよね。僕は自分でMAX運が良い人間だと思っているから、宝くじで生涯収支がマイナスになるわけがないと確信してるの。だからジャンボと名のつく宝くじは毎回全部買っている。時々さ、やれ宝くじの期待値は買いに出かけて交通事故に遭う確率より低いだのなんだの言うしょっぱい期待値野郎がいるんだよな。あほかと。俺はMAX運が良い人間なんだぞと。俺を期待値で縛るなと。こうなってくると馬鹿の範疇にあるように思われてしまうけれども、運気が唯識である以上、思い込むことこそが重要なんだよね。あとこのスタンスには副産物があって、自分は運が良い人間と完全に定義している以上、「運がなかった」みたいな小便くさい言い訳が論理的にできなくなっちゃうの。何かをしくじったとき運がなかったのではなく努力が足りなかったと自動的に修正されちゃうのね。だって自分はMAX運が良い人間なんだから、運がないなんてあり得ないわけなんだから。そういう小便くさい言い訳をしないための投資として考えても、宝くじを買うという行為は確実に元が取れるモノだと思う。
でも、自分で自分がMAX運が良い人間だと思うってなかなか難しいよね。そういうときは仏教で言うところの顕教的なことをすれば良いと思う。顕教というのは例えば南無阿弥陀仏と唱えるだけで浄土に行けるだとか、南無妙法蓮華経と唱えれば仏性が顕現するみたいな一種の廉価版の教えなんだけども、だからこそ自分で好き勝手にでっちあげちゃえば良いんだよ。僕は例えばオフなんかで人に金運を上げる方法を聞かれたときに「財布にゴールドを入れると良いですよ」と答えていたのね。これは完全に僕がでっちあげたものなんだけれども、それによって財布にゴールドを入れた人が「自分は金運が上がった」と認識すれば最初に言った「運が良いと思い込む」ことに成功しちゃってるわけなんだよね。今これを読んで、財布にゴールドの話を聞いていた人は「ぱりの野郎に騙されていた!!」と思わせてしまうかも知れないけれども、この手法は親鸞なんかもやっている手法なので許してね。
運気話はまだまだできるんだけれども、長くなりすぎるのでまた次回。次のオカルト話は「UFOは存在するのか」について。暇なときにやりたいと思います。ゆんゆん。