ブログ ぱりてきさすのトレード日記: 書評

2011年05月27日

人生がときめく片づけの魔法

見所がまったくないのだけれども、目を付けていた株なんかが結構上がりだしてきてて、やっぱり閑散状態でほんのりとした二極化相場になるんじゃないかな。今日はショットガンしてやろうか悩んだのだけども、ちょこっとだけ買って様子見。

なんかさ、東証は必死こいて売買代金増やそうといろいろやっているけど全部裏目になってると思うんだよな。値幅制限拡げたのだってS高になるのが難しくなって全体の雰囲気の盛り上がりみたいなものがなかなか起きなくなっているでしょ。ホント東証の奴ら馬鹿だよな。あと一番はアロヘだよ。外資のケツ舐めてアロヘにしたけど売買代金まったく増えてないでしょ。つーかさ、機械が有利なやり方を導入すればそりゃどんどん寂れるって。アルゴインチキとかマジでやる気なくすから。やってることが明確に汚いんだよ。アルゴは出した注文を10秒間取り消せないとかしてくれないかな。今のインチキぶり酷すぎるんだよな。結局市場がすべきことは参加者全員に公平な場を提供することだと思う。ただそれだけを粛々とやっていれば、株で大儲けしましたみたいなヒーローが出てきて、株式市場だって盛り上がって来るんじゃないの。フェアだったらいくらでも良いんだけどさ、汚いインチキ野郎と戦うのはかなりしんどいわ。ほんとそのうちアルゴしかいなくなっちゃいそう。

日経新聞を読んでいたらおもしろい本を見つけてさ、著者に届いた感謝の手紙を公開しているんだけど、これなんの本だかわかる?

「おだやかになったね、といわれるようになった」
「営業の仕事がたくさんとれるようになった」
「気乗りしないお誘いも、断れるようになった」
「仕事の面で、迷わなくなった」
「会いたかった人から、連絡がくるようになった」
「なぜか3キロやせた」
「自分が持っている力に気づけるようになった」


これ部屋の片づけ本なんだよね。すっごいでしょ。強引なドリブル来てるでしょ。はじき飛ばす奴。ちょうど衣替えの季節だし部屋も散らかってるしってことで買ったんだよね。読んでみての感想。おもろい。僕はいわゆる片づけ本を今まで一冊も読んでいないから、この本で書かれている片づけ理論というのが、今までの焼き直しであるのか斬新なものであるのかがよくわからないのだけども、すごく面白かった。あとこの子はメジャーと思しき片づけ理論には大体反論しているから既存の片づけ理論とは一線は画しているっぽい。ただ、そこらへんのことは僕にはよくわからない。

なんかね、この著者の女の子が本当に片づけが大好きなんだってことが凄くよくわかるんだよね。自分でも私は片づけの変態ですとか告白しているし、後書きの1行目は「先日片づけしすぎて病院に搬送されました」だからね。片づけに対する愛がさ、フェイクじゃないってのが凄く伝わってくるの。自分の中での片づけ理論が完成されるまでの苦悩話とかさ、片づけの世界にもこんな世界観があるのかとかちょっと感心しちゃったんだよね。で、この本は片づけのメンタル部分を最重視してるのね。このあたりとかオリバーペレスの名著「デイトレード」チックなんだよな。この著者の子は僕もタイトルだけは聞いたことのある「捨てる技術」と出会ってから片づけキチガイになったらしくて、物に対する執着からいかに解き放たれるかを重点的に指導しているんだよね。このあたりの理屈って今まで触れたことがなかったから僕は凄く新鮮に感じたし、物に対する執着からの解放って素晴らしいことだと思う。ときめきですべてを判断するとかさ、言われてみればその通りなんだよな。この本、僕は結構面白いと思った。おすすめ。


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posted by ぱりてきさす at 23:40| Comment(7) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

最近読んだものから

トレーダーがトレードをしなければ毎日が日曜日なんだよね。前半はFX研究などもやりつつ、日曜日モードを堪能中。積読処理などもやってます。今日は最近読んだ本の紹介。



影響力の武器

この本は他人にイエスと言わせるための様々な手法を解説したもの。読んでの感想なんだけれども、なんだかピンとこない。ここで解説されている手法一つ一つはそれなりに効果があるものだとは思うんだけども、僕は他人を丸め込ませることにまったく興味がないからなんだと思う。わかりあえることと、わかりあえないことをわかることは同義で、わかりあえることが素晴らしいことであるならば、わかりあえないことをわかることもまた素晴らしいことだとか思っているんで。あと、なんというかテクニックでもって丸め込ませたとしても、それって一回限りだと思うんだよね。逆に僕はこういうテクニック使ってくる人間を物凄く警戒しちゃうし苦手なんだよね。馬鹿にされている感じがするから。職業で営業をしている人とかが読めば良いのかも。



超カンタン アメリカ最強のFX理論

FX本。僕は株の売買でチャートを見るとき支持線とか一本も引かないんだけども、この本を読んでFXにおいて支持線を引くことの意味をそれなりに理解しました。この本に書いているやり方なども一応検証はしているんだけども、今は別のやり方をいろいろと試しています。このあたりの話は後日別記事でエントリー予定。三空さんも株トレーダー用のFX講座をカブトモでやるらしいのだけども、もしかしたら内容丸かぶっちゃうかもw



天才 勝新太郎

勝新本。これまで勝新本ではこのブログでも以前取り上げた山城新吾の「おこりんぼ、さみしんぼ」が名著だったんだけども、この本の著者は77年生まれ。リアルタイムで勝新を見ていない世代による勝新本というのが新しい。勝新が座頭市にのめり込み、座頭市こそが勝新になり、やがては勝新が座頭市に飲み込まれていく様の描写がなんとも言えない。それは役者としての完成を見た姿のようでもあり、痛々しい道化の姿のようでもある。でも過剰な人間こそが持つある種の欠落を社会が容認できなくなった晩年の勝新はやっぱり少しかわいそうなんだよなぁ。



憚(はばか)りながら

後藤組組長後藤忠政の自伝。世間では経済ヤクザと評されただけあって登場人物やディスっている対象がめちゃくちゃおもしろい。武富士に某巨大宗教団体に中江滋樹に島田紳助に糸山栄太郎などなど。糸山栄太郎のカスっぷりって堂に入るというか、安定感があるというか、なんだか流石としか言えないんだよね。僕はますます糸山先生のファンになりました。それはさておき、生涯の友とした野村秋介(朝日新聞東京本社社長室で自決した右翼の大物)の遺体を警察署で取り返すときの話が凄く良い話なんだよね。感動した。個人的には今日取り上げた本の中では一番オススメだと思う。他にアウトロー自伝モノでは本田靖春の「疵―花形敬とその時代」もおすすめ。本田靖春は新聞記者上がりということもあって文章が簡潔で読みやすい。文体に滋味はないのだけれども、描写には滋味があるんだよな。石井福造との呼び出しと和解のシーンには感動して当時の読書ノートに全文を書き写したこともある。本田靖春では「誘拐」「我、拗ね者として生涯を閉ず」も名著。







晩年

先週の情熱大陸を見逃したんだけども、太田光が太宰治の晩年を取り上げていたらしいんだよね。良いね。よく太宰治って青春の文学者とか言われて中二病の罹患者が読む小説家みたいなイメージがあるけれども(これって全部奥野健男のせいだと思う)、小説家として太宰の能力値はやっぱり振り切れていると思う。特に短編小説は完全に神だと思う。処女作のこの晩年は未発表作品の断片をつなぎ合わせたものなのだけども、もうキレキレなんだよね。才能がスパークしまくっていると思う。太宰の代表作って「人間失格」や「斜陽」が有名だけども、この二つは完全に失敗作だと僕は思っていてて、なんでこの二つがいつも代表作になっているのかが良くわからない。太宰治をまだ読んだことのない人で太宰治をこれから読むという人はこの二つは最後に読めば良いと思う。

僕のお勧めの作品はたくさんあって絞れないのだけども、一冊を挙げれば「新釈諸国話」かなぁ。これは井原西鶴の浮世草子をリライトしたものなんだけれども、裸川って好きな作品があって一体これの井原西鶴バージョンはどんなものなのかと思って図書館で元になった井原西鶴の武家義理物語の「死なば同じ波枕とて」って話の現代語訳を借りてきて読んだことがあった。そしたら、「この話をここまで膨らませられるのかよ!」って感動したんだよね。新釈諸国話は戦争末期の防空壕で書かれた作品なので、ある意味命からがら書かれた作品なんだけれども、逆にそのことが奏効して太宰特有の死への過剰な憧憬がまったく出てこないんだよね。現実の死が間近にあるときだから憧憬が消えているの。このあたりのモチーフって三島の「金閣寺」に出てくる金閣寺を燃やした小僧と似ているんだけども、太宰嫌いを公言していた三島自身も確か奥野建男に「お前太宰のこと嫌いって言ってるけど、新釈諸国話や御伽草紙なんかも否定できるのかよ」って言われて沈黙したっていうエピソードもあったりなんかしておもしろい。まだまだ書きたいことあるんだけども、またいずれ。
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2009年09月03日

本人 ひろゆき

糞相場なので部屋の掃除。積読していた「本人」のひろゆき特集をたまたま見つける。パラパラと流し読みをしていたのだけども、そのあまりの面白さに掃除を取りやめて完全に読書モードへ。この本は積読していてはいけない本だった。

いわずと知れた2ちゃんねる初代管理人のひろゆきが3万字にも及ぶ分量でさまざまな話をしているのだけども、そのどれもがめちゃくちゃ面白い。ロジカルに考えること、頭が良いこと悪いこと、人間関係について、逮捕されたとしたら、マスコミについて、世界の仕組みについて、などなど。読んでいて思うのは、ひろゆきは本当に無駄が無いんだなということ。何にも寄っ掛かっていない彼の感覚には透明で澄み切っている印象を持つ。凄い。

僕はずっと全体やシステムみたいなものに対して個としての人はあまりに無力で、それに対応するには自分のメンタル的なものを球へと研磨して、無駄で意味の無い摩擦をできるだけ減らし、なおかつ内面をできるだけ整理して、その重心をできるだけ真ん中に据えることが最善の方法なんじゃないかみたいなことを抽象的に漠然と考えていたんだけども、ひろゆきの発言にはそういう感覚が物凄く立ち込めている。そして、この「球であり、重心が真ん中にある感覚」というのは、僕が出会った勝ち続けているトレーダーさんたちと話しているときに覚える感覚ともまったく同じなんだよな。無駄の無さ、最短距離を行く感覚、何にも囚われていない考え。そういう僕が考える理想的なモノがひろゆきには備わっていて、それを完全に実行しているというのが凄くよくわかるんだよ。これはもう憧れざるを得ない。目標として目を離すわけにはいかない。なんだか今回もまた、時々しでかしてしまう抽象的な話ばかりで結論を出せず話になってしまったけれども、彼の考えやそれに類するものは時代の地平で輝く曙光であり、時代が追いつくならば、その光はいずれ僕らの頭上で燦然と輝くことになると思う。陳腐な言い回しをすれば希望の光として。であるならば、今、この瞬間にこそ読んでおきたい。新しい時代が来る、その前に。


本人 vol.09

本人 vol.09

  • 作者: ひろゆき 堀江貴文 宮藤官九郎 中川翔子 峯田和伸 北村道子 安永知澄 Chim↑Pom 岩井志麻子 小明 井口昇 吉田豪 中村うさぎ 海猫沢めろん
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2009/03/10
  • メディア: 単行本





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2009年02月03日

2月の本


ドルの崩壊と資産の運用―通貨制度の崩壊がもたらすもの
ジェームス ターク、ジョン ルビノ



最近、金投資をはじめたものだから、金に関する本を濫読しているのだけれども、この本は凄い。なぜ凄いか。2004年に書かれた本であるにもかかわらず、今現在起きていることをほとんど正確に明示しているからだ。僕はページを繰る手を何度も止めては発行日を確認した。なぜか。それが信じられなかったからだ。

この本ではまず社会の根本にある問題について言及がなされる。いわく、社会において政府は二種類の人々と対峙している。それは「納税者」と「政府の援助を受けている人々」である。本来ならば二種類の人々を公平に扱い、バランスの取れた徴税と社会保障を行使しなければならないのだけれども、現実の世界でそれは非常に難しい。なんでも与えると約束する野党に有権者の興味を惹きつけさせないためにも多くの譲歩をせざるを得ないからだ。そこで政府は税金を上げることなく社会保障を充実すべく、借金をすることで財政赤字を賄おうとする。その結果、通貨は増発され価値は希薄化し、インフレが進んでいく。

この通貨の死へと至るプロセスを説明したのち、歴史上の様々な通貨の滅亡を提示し、それらが現在の金本位制を排除したアメリカとその通貨ドルにあまりに似ていることを示唆する。そして、来るべき混乱から自分の資産を守るには、絶対の価値を持つ金がベストであることを、ドルと金の関係や原油と金の関係などを通した様々な観点から詳しく説明していくのだ。その中ではアメリカの住宅はバブルであることを指摘し、あまつさえ将来ファニーメイ、フレディマックなどが危機に陥ることについてさえも断言。このくだりを読んでいるときなど、この本は昨日の晩に書かれたものではないかと錯覚したほどであった。

金関連本には陰謀史観に寄っ掛かったものが多く、それはそれで、おもしろく読めるものも多いのだけれども、この本は非常に抑えた筆で金投資について教科書的に纏めているものだと思う。初版のみで増刷もかかっていないようなので、手に入るうちに手に入れてぜひ読んでもらいたい。下記の図の意味するところを理解するのならば・・・、

0203a.gif
ドルの発行量



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2006年06月20日

勝者の代償 ニューエコノミーの深遠と未来

勝者の代償

勝者の代償
著者:ロバート・B.ライシュ
価格:2,100円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る




著者のライシュはクリントン政権時の労働長官。労働長官でありながら労働長官の職が激務であるという理由で辞任したナイスガイ。きっといい奴に違いない。

この本の中でライシュはインターネットの登場による(労働)環境の劇的な変化(ニューエコノミー)とそれに伴う社会環境の変遷についてこと細かく指摘している。日本でもIT革命なんて言葉がもてはやされ、それは魔法か何かと同義に捉えられ、インターネットがもたらす来たるべき輝かしい未来についての言及はあちこちでされてきた。それらはインターネットの利便性にスポットを当てた的確な指摘ではあるのだが、それだけでは不十分である。消費者としての私たちはインターネットの利便性をあまねく享受する一方で、労働者や生産者としての私たちはその代償を支払わされることとなったからだ。ライシュの指摘とは、その代償は私たちの想像よりも大きなものなのではないかというものである。

インターネットの登場とその利便性ゆえに労働者や生産者としての私たちはより過酷な競争を強いられることとなった。たとえば人々は何か欲しい商品があるのならばネットを使い最も安い価格で提供する商店を簡単に見つけることができる。配送だってクリック一つでOKだ。郊外型の大型店舗の登場によって、地域の商店街が壊滅的打撃を受けたときの構図が、より大きな枠組みで今もう一度起きている。これまでの商店は隣町の商店との競争に明け暮れていればこと済んだのだが、ITによって世界中の商店との競争を強いられることとなってしまったのだ。

ニューエコノミーの到来である。これは大ビジネスチャンスであり、現にチャンスを掴んで世界的に成功した企業もたくさん生まれた。しかし、ネット上のサービスの多くは模倣が比較的簡単にできてしまううえに、成功したビジネスモデルをまんま踏襲する手法が依然有効であるために、一度成功した企業といえども安穏としている暇がない。勝ち続けるための競争が強いられ、人々は生活に余裕を失い、地域コミュニティとの関わりも希薄となっていく。そして数少ない勝者の影に存在する大多数の敗者の存在や与えられたマニュアル通りの単純作業をこなすだけの低賃金労働者の増大など、ニューエコノミーの台頭によって労働環境は劇的に変化していく。

とまぁ、ここまでで全12章の中の最初の2章くらいまでを乱暴にまとめたんですが、この後に続く「ニューエコノミー祭り」と、その「後の祭り」ぶりがめちゃくちゃおもろいです。資本主義の持つ競争と効率化への力強い意志が人々や多くの人々で構成される社会をどう変えてしまうのか。それは発展や進化と呼べるようなものなのか。少なくとも手放しで喜べるような話ではないと思うのだが、日本ではこのあたりへの警鐘は不思議とあまり聞こえてこない。臆病な俺なんかはかなりびびっちゃって、「とりあえずがんばろう」なんて思っちゃったりしちゃったんですが、どんなもんなんかな。余裕ぶっこけるような身分に成り上がって「それでも俺の優位は動かない」なんて言ってのけたいもんだけど、「とりあえずがんばろう」程度のことしかひねり出せない今の現状では厳しいでしょうなぁ。まぁ、とりあえずがんばるか。








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2006年04月27日

ホリエモンと史記

ホリエモンが拘置所で史記を読んでいたとのことで、今日は史記について。

作者は前漢の時代の官僚である司馬遷。史記はただの歴史書にとどまらず、登場人物たちの様々な生き様がつぶさに描かれており、いろいろと考えさせられることが多い。思えば司馬遷本人も悲運な運命を辿っており、能力のある人間が運命のいたずらによって悲劇の最後を遂げる様子などには、自身を投影させているかのようでもあり、鬼気迫るものがある。

主な登場人物だけでもかなりの人数になってしまうのだが、なかでも項羽や劉邦、始皇帝や韓非子。孫子の兵法の孫武に天才武将韓信などなど、オールスター状態で息つく暇なく物語は進む。そしてこれら歴史的人物たちが様々な形で互いに影響を与え合い、歴史を織り成して行く様子はまさに圧巻だ。

たとえば秦の政治家商鞅。そのころの秦は弱小国であり、列強にいつ攻め滅ぼされてもおかしくない状態であった。商鞅は国王の権力を高め、世界最初の法治国家を築き上げ、秦を強国へと育て上げた。しかし法律が万人に平等であることから多くの特権階級の反感を買い、後ろ盾であった国王が死去した際に濡れ衣の罪で処刑されてしまう。彼は正しく、能力もあったにも関わらず報われることがなかった。だが、彼の生み出した法治国家秦はやがて始皇帝を生み、中国全土を最初に統一するまでになるのだ。

このように歴史が多くの人々の礎の上に連綿と続いて行く様子はロマンティックでもあるのだが、どこか物悲しい。運命の裏腹さに胸が詰まることも度々である。司馬遷は能力のある人間が報われない世を憎み、せめて書物にまとめることによって後世に伝えようと生き恥を晒しながら史記を書いた。
拘置所でこの史記を耽読したというホリエモンは今後どのように生きていくのか。俺は応援したい。





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2006年04月04日

不道徳教育




あまりに鬱なので書評をば・・・


一般に翻訳本の質は訳者の力量に依るところが大きく、グリーンスパンの回顧録を山形浩生が訳出するそうでありがたいかぎりです。そしてこの「不道徳教育」も橘玲による訳出でなければこんなにも面白い本にはならなかっただろう。氏の超訳によってアメリカで30年前に出版されたこの本が現代の日本に鮮やかに蘇っている。

この本の核にある思想は「リバタリアニズム」だ。それは言ってしまえば、神の見えざる手をどこまでも信じる政治思想である。著者のブロック教授は頭にターバンがよく似合いそうな勢いのガチガチの市場原理主義者であり、彼の主張には一切の譲歩も妥協も見つからない。そのガチガチに凝り固まったアタマで、「擁護できないものを擁護する」のだ。

売春婦から女性差別者に悪徳警官にニセ札作りに2ちゃんねらーにホリエモン。果ては満員の映画館で「火事だ!」と叫ぶ奴までをも徹底的に擁護して行く。それも巷に溢れる人権派弁護士のように情に逃げるのではなく、あくまでロジックとレトリックのみで論陣を張って行くので痛快である。そして、そこで結果的に炙り出されてくるものは「自由」と「市場」の正体であり、これまで至高の価値があるとされてきた「自由」やもっとも効率的な「市場」を敷衍しようとするとき、論理的にはその延長に待ち構えるハチャメチャな世界をも追認せざるを得ないという難問についてである。

これらの問題に唯一絶対の解なんてモノは存在せず、その解に近いものはブロック教授が意図的に排した「譲歩」や「妥協」の中にあるんだろうね。逆説的に読み解くことでいろんなことがつまびらかになるよね。「市場主義」「小さな政府」路線へと大きく舵を切った今の日本には、30年前に書かれたこの本の問題提議はまったく古びることがないよね。とまぁそういうお話。




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2006年03月27日

ルービン回顧録




暇なので書評をば・・・


このルービンと言うおっさんはクリントン政権時代の財務長官を務めた凄腕野郎。クリントン政権はアメリカにアメリカ史上空前の好景気をもたらし、彼はニューエコノミーと呼ばれる成金野郎が溢れかえったご機嫌な時代にクリントンの右腕として活躍しアメリカ経済の舵を預かっていた。
もちろんルービンは好景気時にたまたま財務長官をやっていただけのラッキーボーイではない。その手腕はルービノミクスという造語が作られたことなどからもうかがい知ることができるが、彼の名声は任期中に起きたメキシコのデフォルト危機やアジア通貨危機など数々のピンチを乗り越えた上での名声なのだ。

財界から政界へと転身した彼が政界特有の足の引っ張り合いなどに当惑し克服していく様なども読ませるのだが、この回顧録の中でもっとも印象深いのは、彼の意思決定方法だろう。
それは蓋然的思考法とよばれ、「人生において確かなことは確かなことなど何もない」という彼の人生哲学から生まれたものであり、その内実は多くの人々が陥る意思決定の際の傲慢さや自己過信などを極力排したものである。

メキシコデフォルト危機の際、アメリカがメキシコを支援しなければメキシコはデフォルトを起こす可能性が高いが、支援したところでメキシコが立ち直るかどうかはわからない。失敗した場合血税がドブに捨てられるわけで、政権内にも多くの異論や反論があった中、ルービンはメキシコを支援することを決断するのだ(この状況ってバブル崩壊後の金融機関への公的資金投入問題と凄く重なってしまう。宮沢喜一は決断できずにバブル後の長く暗い経済低迷を招いたわけだけども、このあたりの指導者の決断力の差が日米の明暗を分けたのだと思う。あとルービンは本書の中でも日本の政治家を結構ディスってる)。

その理由は救済した場合のリスクが救済しなかった場合のリスクと比べていくらかマシだからであった。このあたりの駆け引きなどは、ケネディのキューバ危機時なんかを思い出すんだけど、ぎりぎりの中にあってひとつの結論を導き出さざるを得ない状況にアドレナリン分泌されまくり。また現実の持つ人智を超えた側面への畏れなどにも気付かされてしまう。日々相場というカオスの真っ只中でしのぎを削り合うデイトレーダーにもこのあたりの感覚は共有できるものかもしれんね。








posted by ぱりてきさす at 20:36| Comment(3) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする