安田弁護士に代表される最近の人権派弁護士がヒールとしてフューチャーされるときに感じる物足りなさは、当の安田弁護士自身の粒の小ささというかセコさに起因すんじゃなかろうか。あと人相も。オウムの時の故遠藤誠弁護士(どいてくだしゃいの人とは別人)みたいなスイング感がまったくないんだよな。異なるイデオロギーの持ち主ともブルンブルン共振しうる出所不明のパワーが皆無で、それ故に袋叩きに遭ってしまう。あれで安手のヒロイズムなんかを漂わせたりしだしたたら目も当てられない。(いっぺん漂わせてみて欲しい、怖いもの見たさで)
かつて遠藤誠弁護士は暴対法の際、山口組の主任弁護士を務めて世間から轟々の非難を浴びた(だけども協賛者もたくさん現れた)。遠藤の主張は暴対法は憲法で保障されている結社の自由を侵すものだってもので、ヤクザの味方をするトンデモ弁護士扱いされたわけだけども、遠藤の凄いところはそういう世間の批判をものともせず、その一方で全国の山口組の親分を集めて壇上で説教始めちゃったりするところにあるのだ。いわく「今、暴対法みたいな法律ができようとするのは、日ごろの君たちの行いが悪いからだ。ヤクザのくせに任侠道の本分を忘れ、金儲けに邁進した結果が暴対法である。任侠道とは強きを挫き、弱きを助くことにあるんじゃないのか!」(この言葉に感化した5代目は阪神大震災のとき炊き出しを即決したっていう美談もあったりなんかしちゃう)
うほっカッコイイ!その後も山口組からの謝礼のアタッシュケース山盛りの札束を啖呵を切って突き返したり(私、遠藤誠は君らを弁護したのではない。憲法を弁護したのだ!)と、100点回答を連発するんだよな。こういうスケールのデカイ人間にはイデオロギーを超えたところで共振者が出てくるところに「魅力」で定義される言葉の意味の力があるんだろね。他にも奥崎謙三とのケンカや風呂にほとんど入らないとか遠藤誠先生イイ話は全部ため息モノなんだけども、割愛!ひとつだけ付け加えておくと、遠藤先生は罪刑法定原理主義者で、もし犬を殺した人間は皆死刑という法律があったなら断固死刑にしかねない無茶さもあって、過剰な人間の欠落パターンの一端だったりするんだけれども、僕はそんな遠藤先生が思想信条を切り離して大好きなわけです。
脱線しすぎちゃったので本線に戻して、結局何が言いたいかってことなんだけども、安田弁護士が死刑反対運動をもし成功させたいのならば、人々の心を共振させなきゃどうにもならないんじゃないのってこと(市民の反感を買い捲りのTOB継続中の政治運動が成功するわけがない)。穿った見方をすれば、もはや今の状況ってのは、「死刑反対運動を続けるための死刑存続運動」になっちゃってんじゃないかってこと。今の安田弁護士を見てたら誰だって死刑賛成論者になっちゃうよね。数々の政治運動が役目を終えた後、座して堕落したように、今、死刑反対運動はその瀬戸際にあるんじゃなかろうか。ここでの舵取りのミスは死刑廃止運動そのものの命取りにもなりかねん。すでに手段と目的が転倒してるなら大成功だろうけれども。ちなみに自分は死刑大賛成論者なんだけれどもね。