パリ、テキサス、ピョンヤン 第1話
パリ、テキサス、ピョンヤン 第2話
パリ、テキサス、ピョンヤン 第3話
レストランの入口は狭く、案の定真っ暗だった。ちょうど「皿」の字のような構造になっており、通りに対して直角にテーブルが並べられている。中に入ると先発バス組はすでに食事を始めていた。僕は適当に空いているテーブルに座った。大きなテーブルには細工が施されていて、なかなか高そうなのだが、テーブルクロスはビニール製で安っぽい。そのうえタバコの焦げ痕が痛々しく散らばっていた。中央には燭台があり、ホワイトアスパラ大のろうそくが備え付けられていた。女の給仕たちは僕たちの到着を待ちわびていたかのようで、マッチ片手にそれぞれのろうそくに手早く着火してゆく。暗かった部屋の半分にようやく明かりが点った。
僕のテーブルには後から、くたびれたおっさんと高校生くらいの娘を連れた母子がやってきた。二組は面識がないようで、互いに会釈しながら席に着いた。くたびれたおっさんはねずみ色のスーツに紐ネクタイをしめていて、オシャレのつもりなのだろう、ヴィーナスの横顔柄のネクタイ留めをしていた。風采はパッとせず、どこかの学校の教師のような出で立ちだ。僕の勘だが、もしかしたら本当に教師なのかも知れない。母子の方はことあるごとに二人でひそひそ話をしており、なんだか感じが悪い。顔は瓜二つで、娘の髪にパーマを当てて老けさせたならそのまま母親の顔になるかのようだ。給仕たちがビールをテーブルに運び出した。娘の前には烏龍茶が用意されている。金男と金女が挨拶とともに乾杯の音頭を取った。
北朝鮮製のビールの味だが、僕にはよくわからなかった。周りの人たちの意見を聞くとそこそこイケるらしい。だけども皆、ビールの温度には不平を言っている。確かにぬるいのだ。ビール瓶からはすでに汗が噴き出している。次々と料理が運ばれてきた。ナムルやキムチなどの朝鮮料理だ。味付けはマイルドで日本人の僕の口にも合ったが、さりとて特筆すべきものでもなかった。この後、様々な朝鮮料理を各地で食べるのだが、それらは本当に美味だった。なので、僕のこのレストランでの食事の印象は極めて希薄になっている
食事も峠を過ぎて後はデザートが運ばれてくるかどうかという頃合いになっていた。僕の目の前のおっさんは手酌でビールをガバガバと飲んでいる。すでに4本目だ。顔も赤らけて、目は座りだしている。そしてめんどくさくなりそうオーラを目一杯に放ちだしている。僕は子供の頃、そこそこのマッドシティで暮らしていたが、一度もカツアゲに遭ったことはない。危険察知能力が高いのだ。だからこそわかる。いま目の前にいるこのおっさんは極めて危険だ。僕はすかさずビール瓶の朝鮮語で書かれたラベルを読むふりをしだして牽制した。僕に話しかけるなという結界を張ったのだ。おっさんに僕の結界は破れない。標的を娘一本に絞ったのだろう。さっきからそわそわと娘の様子を確認している。おっさんは母親とのひそひそ話の間隙を突いた。群れから遅れたガゼルに飛びかかるライオンのようだ。
「君は学生のようだが、なんのために勉強しているのかな?」
ほら、始まったぞ。親戚の集まりとかにこういうおっさんっているんだよな。関わると損しかしないめんどくさいおっさんが。娘よ。悪かったな。僕が結界を張ったばかりに君を犠牲にしてしまって。大丈夫だよ。せめてもの情けだ。僕はこうしていましばらくラベルを読んでいるふりをしようじゃないか。聞こえていないふりをしよう。その間に目一杯グズグズな対応をしたまえ。なんてことを考えていた次の瞬間だ。
「はい。わたくしはいずれは妻として、やがては母として偉大なる朝鮮民族の血脈を子々孫々に繋ぐべく日々勉強をしているのであります!」(マイルドに要約)
なんと即興で演説をブチ始めたのだ。手に持つビール瓶が滑り落ちそうになる。どういうリアクションを取って良いのか皆目見当がつかない。周りの人間がリアクションできない行動というのは暴力に似ていると思った。なんならこの場で鼻くそをほじくって美味しそうに食べてくれた方がずっとありがたいのだ。おっさんを見ると腕を組みながらうんうんと唸っている。娘はドヤ顔満開だ。母親も娘をトレースしたかのようなドヤ盛りだ。
ああ、ため息とともに僕はこのときすべてを悟ったのだ。ため息には悟るまでに時間がかかりすぎた後悔が溶け出している。僕はいま王化の届かぬ未開の地で狂信的異民族たちに取り囲まれている。北朝鮮に旅行にきていたつもりだったのだが、ソフトな捕虜になりつつあるのだ(日本人拉致が発覚したのはこの三ヶ月後のことである)。これからの行動すべてに本気の判断を下していかないと危ういと僕の危険察知能力が訴えかけてくる。頭の中をいろいろな感情が駆け巡り制御ができない。言葉に紡ごうとすれども、まとまる前にほどけていく。視界もだんだんと狭くなっていくかのようだ。ふとテーブルの上を見遣ると燭台のろうそくは醜く溶け出してしまっている。だが、それでもその炎は闇に抗わんと静かに震えていたのだった。
第二部完 第三部に続く。
2013年10月09日
この記事へのトラックバック
北朝鮮ドキュメント、ものすごいですね!想像以上にヤバい国ですね。とにかく無事に帰ってこられて何よりです。
続きを楽しみにしてます。
私、専業でトレードしてます、ほとんど勝ててないですけど・・・
他にはない含蓄のあるトレードブログも再開を期待してます。
それにしても昔の体験を今なぜ?
続きが楽しみなんでよろしくお願いします!
恐ろしいですね…
つづきが気になります☆
テリー伊藤さんの「お笑い北朝鮮」っていう一見コミカルな本もありました。
でも、読んでぞわっとしましたよ。
これからの展開に期待します。
次も楽しみにしています。
ソフト捕虜ですか〜。
今回トレーダーズウェブマガジンというウェブサイトを作ったのですが、そこにぱりさんのブログを掲載させて頂いております。
掲載にあたって何かありましたら、大変お手数ですがご連絡頂ければと思います。
突然で失礼致しました。どうぞ宜しくお願い致します。
続編、早めにお願いします。
質問なのですが、パリさんの人間ドッグはおいくらぐらいのコースですか?
40代なので真剣に考えています。
久しぶりに来たんですが
なにこれメチャクチャ面白いんですけど
続きまってますw
続き楽しみにしております。
お願いします>_<
しかし肩たたかれたのはホラーでした。