成功した人たちの中にはたとえば慈善活動に手を出す人たちがいるけれども、そういうもののいくつかを見て思うのは、凄く非効率的で言ってしまえば無駄な慈善活動をしているように感じてしまうことがある。なんというか、ザルで水を掬うかのような慈善活動に意味があるのかと思う。じゃあ、お前の考える効率的な慈善活動(慈善活動という言葉を最初に使っちゃったから、ちょい意味合いがずれちゃってしまっている気がするけど、「正の行動」みたいな意味合い)って一体なんなんだという話になるわけだけど、僕の考える効率的な慈善活動っていうのは、成功した人間がいまだ成功していない人間にチャンスだけを与えることだと思う。なぜチャンスだけを与えるのかと言えば、なんでもかんでも与えてしまうとお互いに不幸になってしまうから。
このシステムはもちろん対になっている。そしてそれはいまだ成功していない人が何をすべきかという答えにもなっていると思う。いまだ成功していない人は、努力したり自身の能力を高めるなどして、あとはもうチャンスさえ与えられればいつでも成功できるというポジションにつねに立っていなければならない。これができていない状態でたとえチャンスが与えられても、それは活かすことができないから。チャンスが与えられればいつでも成功できるよう、そのチャンスが死にチャンスになってしまわないように、つねに自分を高めていなきゃいけないと思う。
少し前にオカルト話をしたときに、運は人が運んでくるという話をしたけれども、それと少し似ている。天与という言葉があるけれども、チャンスは完全に人与なんだよね。そのことを念頭に考えて、この与える者と与えられる者との正の連鎖の中にいかに自分を組み込むかだと思う。僕なんかまだまだ人にチャンスを与えられるような立場の人間じゃないし、これからももっともっとチャンスが欲しい側の人間なんだけれども、こういう正の連鎖ってこの世界には歴然とあるから、その連鎖をイメージして、自分もその輪に繋がるべく行動を取っていればチャンスはいつか与えられ、そのチャンスはきっと活かせると思う。最小不幸社会とかロクでもないと思うんだよな。努力しているにもかかわらず、チャンスだけに恵まれていない人間のみが救われる価値がある。僕はそう思う。そして、「成功した人間はチャンスのみを与え、いまだ成功していない人間はチャンスだけが必要な状況にまで自身を高める」そういう仕組みで動く社会はきっとより多くの幸福を産むに違いないと思っている。
毎回ブログとても面白いですよ
株以外の内容もいつも楽しみにしています
2年前の3月オフ会でぱりてきさすさんが隣に座らなかったら株続けていなかったでしょう。
私はそのこと一つ取っても、ぱりてきさすさんには感謝しております。
災害時は別としてアホに金や物をあげても余計にぐうたらするだけだろうし。
P.S.
×座頭一○座頭市ですね。失礼しました。
実は色んな形でチャンスを貰っていたのかも….
でもそれに気づいていない.
まさにチャンスを得る権利があっても,それに見合った能力が備わっていなかったのかも….
タラタラしてる人生を送っちゃいけないですね;
一日を大切に.何度も思っていてもすぐに無駄にしてしまう.
困ったもんだなぁ;;
少しでも意味のある一日が増えるよう頑張ります!
全くもってそのとおりだと思います。
全くもってそのとおりだと思います。
なんでこういう意見が主流派にならないのか。
敢えて論点を探すとしたら。
ホリエモンとひろゆきと勝間和代が対談本出してるんですけど、3人とも「自分たちだって努力しているのに、それがあまりに効率的すぎるために、努力していないのに報われているかのように思われる」みたいなことを言ってました。
「努力している」ことをどう証明してアピールするか。周囲はそれをどのように評価して納得すべきか。人によって様々に異なるであろう生まれながらの努力の限界値をどう認定するか。本当に運やチャンスだけで福を得た人はどう扱うか。
そういうところなんでしょうね。
まずは自分を知ることじゃないですかね。自分が馬ならば駆ければ良いし、イルカならば泳げば良いし、鳥ならば飛べばよいと思います。
>>あさん
ありがとうございます^^
>>むらさん
いえいえ、どういたしまして><
>>Yottyさん
チャンスを与えた人間にはさらにチャンスが与えられると思うんですよね。神は信じないですが、このことは信じています。
>>こころ
がんばるしかないのやで。
>>die and dieさん
こんにちは。信じることは疑うことをやめることだから、それは楽で幸せなことなんですよね。その是非はわからないですけれども。
>>たたんさん
繰り返しありがとうございますw
>>しらまさん
それは一言で言うと嫉妬の問題ですよね。人に無闇に嫉妬するのは情熱の浪費なんですが、その浪費が物凄い社会的コストを産んでいる気がします。