その一節が書かれているのは、F・F・コッポラの嫁のエレノア・コッポラが書いた「ノーツ コッポラの黙示録」って本で、これはコッポラが地獄の黙示録をフィリピンで撮っていたときの様子を妻のエレノアが日記とエッセイでまとめたもの。宿舎に超巨大ゴキブリがわんさかいる話だとかマーロン・ブランドがキチガイだの、撮影に行き詰まったコッポラが三島の「豊饒の海」を握りしめながら「芸術とはこうあらねばならぬ!!」って夜中に叫んでいた話など、おもしろい話がたくさん詰まっているのだけれども、僕が衝撃を受けた一節というのは、エレノアが旅に出たときの話の中に出てくる。
「旅先で出会ったどうにも印象に残る風景は、自分の未来の心象風景である」
という一節なの。これはピンとこない人も多いかも知れないし、この蓋然性を証明なんてとてもできないのだけども、僕はこの一節を読んだときに、これは「確かに宇宙の神秘の一端に触れてしまっている」って心から思ったんだよな。
僕は風景と心象風景っていうのは名状しがたい何かでリンクしているんじゃないかってことをそこはかとなく考えていた。例えば、それを映像作品として主人公の心象風景と劇中の風景とをリンクさせているのがロードムービーの巨匠であるヴィム・ヴェンダースだったりするのね。この僕のぱりてきさすって名前の由来もヴェンダースの「パリ、テキサス」から付けたもので、風景と心象風景の関係にはずっと興味があった。
人は人生のなかでいろんなことに行き詰まると旅に出たりする。実はそれは自分の未来の心象風景を無意識のうちに欲して手に入れるためなのではないかと僕は思う。今、もし僕が旅に出たなら、どんな風景を集めることができるのだろうか。それは未来に臨む上で、きっと自分だけの道標になるのだと思う。
人によっては「神」を感じるとか…
http://ashiato-note.com/travel/annapurna/muktinath/
それとも旅をするために資産運用しているのか。
よく考えますが、ボクは旅行したいが為に専業というポジションを選んだ身ですからね。
満足のいくパフォーマンスを残せないのも当然かもしれませんw
すべてを犠牲にして、全力で挑まないと勝てないんだということを今の相場で学習させてもらっているところです。
しかしながら、BNF氏のようにいつも常に相場のことが気になってしかたがないという理由で、海外旅行にも行けないという生活はボクにはできそうにもありませんね。
人生は短いということも知っているので。
旅をして帰ってくると、相場が新鮮に思えていい気分転換になりますよ。
Bon Voyage!
まだ民主を評価するには早いと思ってるんでぐっと我慢してるんですけど、日本を終わらせないでほしいwまだ若干期待してるんですけどねぇ。
日曜日から3週間旅に出ます。月曜日に売りポジを手仕舞いしました。売りの方が好きなので4月以降は苦戦して今年一番おいしいところを逃したかななんて考えていましたが、ぱりてきさすさんの今日のこの言葉、あっという間にそんなことなど吹き飛ばしてくれました。
この言葉、思い当たる節があります。だから旅がやめられない。今まで意識したことは無かったけど、いくつものの風景が思い出されて今、かなりゾクゾクしてます。
旅立つ直前にこの言葉に巡り会えたのも何かの必然かもなんて。今回の旅が別の意味で楽しみになりました。きっとそんなことがあるから全て手仕舞いしてでも旅に出るのかもしれません。良い言葉をありがとう。
映画をそこまで深く見れている人ってほとんどいないと思います。
僕は映画を学問として学んだおかげで多少はそういう感覚が身についていますが、もし独学でやられていたのでしたら、それはとてつもないセンスだと思います。
ヴェンダースと言えば、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは授業でやりました。
今回のエントリでサントラ買ったのを思い出したので、久しぶりに聞いてみようと思います。
ネパールいいですね。昔よく近所のネパールカレー屋に行ってました。この季節はちょっと寒そうだなぁ。
>>ジョンメリさん
オフで聞かせて頂くジョンさんの旅話はめちゃくちゃおもしろいですよ。前回は聞き損ねてしまいましたが、次ぜひまた聞かせてください。僕も気分転換がしたいですわ。
>>鉄王さん
期待はしたいんですが、大臣人事を見ても経済に対して目配せができるとは思えないですよね。どうにかしてほしいものです。
>>ひよさん
おお、それは奇遇ですね。3週間とはかなりの長旅ですね。もしよろしければどこに行かれるのかお教え頂けませんか?
>>武者修行中さん
ヴェンダースの映画は音楽も良いんですよね。僕も大好きです。
そういえば昔、武者さんが「ユリイカ」について触れられていましたが、僕もユリイカは大好きな映画の一つです。ユリイカを見るときは日の出の時間を調べて、日の出とユリイカのエンディングがかぶるようにして見ています。あのラストシーンと現実の夜明けがシンクロすると恍惚となりますよw
というのがどこなのかも気になります。また今度教えてください。
いまの自分に見える準備のできているものだけが、自分だけの実存として
目の前にたち現れる。逆説的だけど、それによってはじめて自分は
何を見ようとしていたのか、何が見たかったのかに気づかされることもある。
旅に出ようと思うのは、見えると予測・期待しうるものしか見えなくなったときか、
あるいは逆に、何にも見えなくなってしまったときなのかもしれませんね。
「旅に出ようと思うのは、見えると予測・期待しうるものしか見えなくなったときか、
あるいは逆に、何にも見えなくなってしまったときなのかもしれませんね。」
これは素晴らしい意見ですね。ためになりました! 旅話を肴に飲みましょう〜
こちらに飛んだら2年前の自分の書き込みに出会い、とても懐かしいです。
どの風景がどうつながったのか分かりませんが、現在海外暮らしになりました。
もう少し先になると思っていたのですが、思ったより早く日本を出ることが出来ました。
そしてまたあらためて出会うこの言葉、
過去に出会った一つの風景と今が切り離せないことに気が付きます。
結局そこしか自分の居場所はなかったのだろうと。
懐かしい言葉を再び、ありがとうございました。
おおお〜2年前にひよさんは旅行前にコメントをしてくれていましたが、それから海外移住を決めて実行にまで移されたんですね。僕はこの記事を書いたのがついこの間のような気がするんですが、いろいろと感慨深いです。