ふつう「技を身につける」というように、わたしたちは技術の習得を、いまある自分に何かをつけ加えていく、というメタファーを使って理解します。
けれど、はたしてそうなんだろうか。
ピアノを練習して、指がどんどん軽やかに思い通りに動くようになっていく。これは何かを身に「つけ」たから?
けれど、「軽やか」ということに注目すると、いらないものを取り払ったから、と考えることもできます。
技術や知識を「身につける」系の思想に対して、技術を高めていくために「いらないものを取り払う」系の思想というのも、古来からあるのです。
これはまさに株の世界でもまったく同じことだと思う。ゼロの状態から株の勉強を始めるとなると、だいたい普通は本屋で株の本を手にとって勉強するわけです。これは完全に「身につける」系の努力だと思う。株をやっていく上でこの「身につける」系の努力は絶対にある程度は必要なのだけども、株で勝ち続けるためにはこの「身につける」系の努力だけではどうにもならない。ここがまず最初の重要なポイントで、多くの人たちは株で勝つことは「身につける」系の努力の先にある物だと捉えてしまいがちだと思う。たとえば歴史の暗記物であるならば、この「身につける」系一本でどこまでも結果がついて行くんだけども株はそうじゃないんだよ。どちらかというと株の場合は「取り払う」系の能力こそが重要なんだと思う。
じゃあ株における「取り払う」系の能力とはなんぞや、どうすれば「取り払う」系の能力を会得できるのかという話になるわけだけども、これは僕の言語化能力では到底説明できない。値打ちをこいて秘密にしているとかではけしてなくて、本当に名状できないものなんだよ。一輪車の乗り方を文章で説明したところで、それを読んだだけで次の日から一輪車に乗れる人間はいないように、この「取り払う」系の能力は体験を通じた試行錯誤の中からしか会得できないものなのだと思う。(ならやっぱり「身につける」系と同じなんじゃないのと思われるかも知れないけれども、それはやっぱり違う。どう違うかをうまく説明できないのが今の僕の限界)そして一口で試行錯誤と言うけれども、株のような無限の複雑さを持つものにおいて、その試行錯誤もまた永遠のもので、終わりなんてないんだよなぁ。
この記事は書く前から、うまくまとめきらないことを覚悟していたんだけども、そしてその気配がやはり濃厚になって来たわけだけども、がんばって続けると。。。
よく株式セミナーみたいなものあるでしょ。ああいうのって「身につける」系の中でも一番しょうもないたぐいの話(多分に偏見に満ちた僕の意見だけど大方正しいと思う)を金を取って聞かせるものに過ぎなくて、株で勝つ方法を箇条書きみたいなもんで説明できるわけがないんだよ。株の神髄がもし存在するのなら、それは虹の七色の境目の色を誰も名状できないように、あまりに感覚的でなおかつ極めて個人的(自分の眼に映る青色と他人の眼に映る青色が同じ青色であるかは証明できない)なもので他人とおいそれと言葉で共有できるようなものではないと思う。ここが「取り払う」系の習得が困難を極めるところで、他人の協力がほとんど得られない原因なんだよなぁ。そして、それが株の難しさに直結している。
こんなことを書くとまるで僕がその「取り払う」系をマスターしてるかのような口ぶりだけども、もちろんマスターしてるわけじゃないよ。でもこのベクトルの正しさには確信を持っていて、そのあたりを自分なりに研究してきたことを発表しているだけでございます。もう、強引にまとめると、「身につける」系の勉強をいくらしても、「取り払う」系の領域をマスターしなけりゃ結果はなかなか出ないと思うので、「取り払う」系を会得するにはどうすりゃいいか、みんなでそれぞれ一緒に悩もうぜっていうお話。だめだこりゃ。言いたいことの半分も説明できませんでした。しょっぱくてすいません。無念です。だけどもやっぱり名人伝のなかでも、「身につける」系の修行方法は具体的に書かれているんだけども、「取り払う」系の能力を獲得するための修行方法は伏されて書かれていないんだよね。「取り払う」という能力。たぶんこれは株に限らず多くの技術や能力の神髄がここにあるのだと思う。そして、きっと「取り払う」能力を最初から持ち合わせている人のことを俗に天才だと言うんだろうね。
余談だけど山月記で有名な中島敦の他の短編もめちゃくちゃおもろいよ。おすすめは「李陵」「悟浄出世」「弟子」。ちくま書房から出ている全集は文庫本一冊ですべて収まっているのでおすすめ。もし結核で早世していなければ司馬遷を取り上げる予定だったんだって。読みたかったなぁ。
行動ファイナンス的にも、ほとんどの人が株でも本能のままに動いている。そうすると負ける。
だから勝っている人の教える株の本で良書は最後は哲学みたいな精神的な事ばかりになるのかと。
この「本能」を取り払うと、とりあえずは普通の人クラスは脱出で、とりあえずとんでもなく負けなくはなる。
一輪車に乗れるようになる技術というのは取り払う系ではありません。
ロボットにそれをプログラミングするにはものすごい量の情報をいれないとだめだと聞いたことがあります。
つまり経験量で何とかなる系です(きっぱり)
自分の得意な方法に特化するというか、ある手法を極めることが重要だと。
確かに目先の損得に囚われずに売買できるようになるには、トレーニングが必要だと思います。
(私の場合、過去のデータを用いたシュミレーションではうまくいくけれど、現実にはヘマをやることが多いです。(≧∇≦) )
中島敦、いいですよね!
私もとても好きな作家の一人です。
ぼくは最近、トレードって実はスポーツ? なんて思ったりしてます。
なるほど、本能ってかなり近い気がしますね。欲望や恐怖や見栄や嫉妬などがトレードを不自由にしてしまうというのは確実にあると思います。これらは「取り払う」べきものですね。
>>福沢もも子さん
うーん、説明不足でした。たとえば一輪車などの特殊な運動は、人間の場合小脳が処理しているらしいのですが、最初から小脳が活躍してくれるわけではなく、最初は大脳で処理してしまうらしいんですね。でも大脳はそういう処理が苦手なもんだから「こりゃ小脳さんの仕事だな」と途中で小脳にバトンタッチするそうです。そして小脳で処理できるようになれば一輪車のようなものを乗れるようになれるそうです。
ここでの話は人間は一輪車に乗るときに、最初から「大脳さん、これはおまえじゃ無理だから小脳さんに任せとけよ」と脳に命令できないというもどかしさや難しさみたいなものを説明するのに一輪車をたとえに使いました。ロボットの場合はゴリ押しの超計算でここらの過程をすっ飛ばせるのがいいですよね。
>>さんくさん
そうですね、「極める」という言葉の中には確実に「取り払う」という要素が含まれていると思います。
>>Lirasさん
中島敦いいですねぇ。僕も大好きです。やっぱり作家は薄命でなきゃいけないっす。絵になりません。
>>こんひでさん
そうですね。トレードはたぶんスポーツの方がより近いと思います。スポーツにおけるルールを覚えるというのは「身につける」系の作業の一環だと説明できそうです。
この記事で答えが見えたような気がします
ありがとうございます
トレードで勝つにはある程度身につける勉強をしないといけないです
でもある時点から取り払う勉強をしなければいけません
そうやって残るのは信念しかないと思います
信じられるのは自分しかないと思います
だからトレードは孤独なのかなあと思います
欲望、恐怖、見栄、嫉妬、虚栄心、怒り
私はこれらの感情を排除するために
人生の大部分の時間を費やしてきました。
「恐怖」を取り払うのが一番難しいように
感じます。
話が違う方向にいっていたらすみません。
これはたぶん、最初ある程度まではトレードは市場との戦いなのだと思うんです。ですが、ある程度を越えてくると次からは自分との戦いが始まるような気がします。自分と戦うわけですから、それはやはり孤独なものとなってしまうのではないでしょうか。そういう孤独な戦いを続けるには、おっしゃるように信念が絶対に必要なのだと思います。
>>通りすがりさん
感情の扱いはやっかいですね。トレードの邪魔をすることもあれば、トレードをがんばることの源泉になったりもします。トレードにおける感情とのつきあい方は本当に難しいと思います。
いつかトレードを小脳に任せてみたいです。