リアルタイムのスーパーアイドルジュリーについてはまったく知らないのだけれども、過去の映像などを見ると、とんでもないことになっている。狂気の沙汰としか思えない衣装(正面左側が半裸、正面右側がナチス)を着て「成立」せしめる凄み。自伝に自分の戸籍や学生時代の通知表や自身の体のレントゲンなどのメチャクチャ精巧なコピーを付録としてつけるなどの、よくわからないサービス精神。他にも暴力事件を懲りずに何度も起こしながらの復活などなど、よほどのアイドルパワーがなければこんなことができるわけがないだろうから、その当時のジュリーたるや相当なものだったのだろう。当時の僕はこれは今からでも注目せねばなるまいと意気込み勇んでコンサートホールへと足を運んだ。
ホールにはおばさんたちの人だかり。そしてそこかしこに談笑の輪ができていた。なんだか同窓会のよう。完全に場違いなところにやってきたと少しほぞを噛んでいたら、幕が開きジュリーが登場。その瞬間、会場にはとても黄色とは呼べない、さながら黄土色の歓声が響き渡り、まるでなにかの祭りのような大騒ぎ。舞台の上の当のジュリーはかつての面影などまったくなく、ぶくぶくに太った上に曲目の合間のMCには下ネタを連発するなど、イイ感じに仕上がってしまっているのだけれども、歌と踊りに関しては一生懸命で、汗だくになって舞台の上を所狭しと動き回る。そんなジュリーへ尽きぬことのない歓声を送り続けるおばさんたち。多分、かつてよりも距離的にも心情的にも彼女らと今のジュリーは近いのだろう。その青春の一コマを捧げた当時と変わらぬ熱量で舞台の上で歌って踊るジュリーを応援している。
僕はその状況のすべてをフェスティバルホールの二階から眺めながら、これはきっと美しいことなのだと思った。黄金風景なのだと思った。彼女らにとってジュリーはもはや自身の人生の大切な一部であって、それはきっと不可分な財産なのだろう。そしてジュリーはそんな彼女らの想いに精一杯に応え続けているのだ。なんだか僕はホロリと感動してしまったのだった。
チャゲアスは解散コンサートも行わず解散するという。チャゲアスの数多くのヒット曲はジュリーの名曲が今そうなっているように、同時代を生きた人々にとっては、ある種の共有の財産となっているのではないか。チャゲアス解散の報を聞くにつけ、それらがこのまま二度と聞くことができなくなってしまうのは、少し寂しいような気がしたのだった。
ジュリーのサムライ。名曲であることもさることながら、衣装にも注目。たしか、右半分が海賊で左半分がタキシードバージョンもあったように思う。なんにせよ、この衣装を成立させることができるのは、古今東西ジュリーだけだと思う。あと演出も凄いのでぜひ最後まで見てもらいたい。
僕はチャゲアスが大好きだったかというと、そういうわけではなかったのだけれども、名曲はめちゃくちゃ多いと思う。youtubeには最近のコンサート映像がアップされているのだけれども、アレンジが洗練されていて、昔聞いたときよりも物凄く良くなっていると思う。あとASKAはやっぱし歌が上手いし。そんななかから一曲チョイスするならばbig tree。あんまり有名ではないけれども、この曲は昔から好きだった。
昔のテレビは自由でいいなぁと思いました
テレビの凋落はこういう部分にあるような気がします。