アニメ一休さんは誰でも一度は見たことのあるアニメだと思うのだけども、ちゃんと見たことがある人はあまりいないと思う。僕も子供の頃再放送で何度か見ていたのだけども、ちゃんとは見ていなかった。でも子供ながらに見るたびにモヤモヤした気持ちになっていたのは覚えていた。そして高校生のときにたまたまサンテレビで一休さんの再放送の第一話を放送していて、そこから全話ビデオに取って見たんだよね。
なぜそんなにも一休さんにのめり込んだかと言うと、一休さんってまったく子供に媚びたアニメじゃないんだよ。子供を一切見くびっていない。そういうアニメを作った制作者側の意気に感銘を受けたんだよね。子供を舐めていないことを象徴するのが一休さんが琵琶湖で入水自殺しようとする話なの。子供向けアニメで主人公が入水自殺しようとするとかあり得ないでしょ。でもやるんだよ。一休さんはそこを描くんだよ。その自殺しようする理由も奮ってて、「とんちでは究極的に人を救えない」って悩み苦しんで入水自殺しようとする。途中で空に仏様が出て来て自殺を思い留めるよう諭して未遂に終わるんだけども、そこからの一休さんは世の中のどうにもならないことに対してとんちで真正面から向き合い出すんだよね。どうにもならないことに対してどういう態度を取るかでその人間の枠組みみたいなものが規定されるんだと僕は思っているのだけども、一休さんは世の中の死病貧といったどうにもならないことに対してとんちでもって向き合い出すんだよ。この部分なんだよ。この部分が一休さんというアニメの凄いところなんだよな。子供に媚びない。子供を見くびらない。子供は未熟だからすべては伝わらないかも知れない。でも残滓は消えない。それで十分なんだよ。素晴らしい。
今回の福君の一休さんにもそういうエッセンスがあったんで、ちゃんと一休さんイズムをわかっている人間が脚本を書いているというのがわかってうれしくなっちゃってこの需要ゼロの文章を書いているよ。ちなみにビデオソフト化されているアニメ一休さんは全然ダメなんで見る価値ゼロです。いわゆるファースト一休さんは世の中のどうしようもなさと向き合うがゆえに、キチガイ、めくら、せむし、乞食などなど放送禁止用語のオンパレードなわけ。そういうガチンコエピソードは全部葬られてるのよ。一休さん末期に水増し要因として重用されていた「どちて坊や」や「やんちゃ姫」ばかりでほとんどスラップスティック化しちゃってる。今回のドラマをきっかけに無修正版ファースト一休さんをもう一度見られるようになれば良いなと心から願うばかりだよ。