当時、僕は株価のチェックに「野村QUICK」を使っていた。これは登録銘柄を何件か入れて更新ボタンを押すと手動で更新されるというもの。これでも最初は「20分ディレイじゃないなんて凄い!」なんて感動していた。その上、当時使っていたパソコンは悪名高いウインドウズMeで、少し油断するとすぐ落ちていた。それこそ何百回と電源長押しで再起動したことかわかったものじゃない。更新ボタンの連打と再起動の連打が株の売買労力の半分を占めていたと思う。そういう時代だった。
その頃、まだ2chもいわば黎明期で今では株関連の板も複数あるけれども、最初は一つしかなかった。最近、潜伏さんの破産があちこちで取り上げられているけれども、2ch株板の最初期のスーパーヒーローは潜伏さんとuoaだったのは間違いないと思う。二人の三井松島の戦いは伝説だった。あとAAを華麗に使いこなすだけでも潜伏さんはみんなから崇められていた。「潜伏さんのシルクハットは今日もズレてないぞ。すげ〜〜」みたいな感じ。懐かしいなぁ。
僕は2chブラウザの存在を知らなくて、あの小さい文字の羅列の中から目当てのスレなどを「検索」を使ってよく探していた。その頃株板でもっとも人が集まっていたのは「みずほスレ」だったと思う。みずほスレの住人に2chブラウザを教えてもらって目から鱗だったのは今でも覚えてる。なんて便利なんだろうって心の底から思ったものだった。
2003年の春にりそなが竹中によって救済される運びとなった。僕はこれでメガバンはもう潰れないと確信して、全財産でみずほ株を全力二階建てした。本当の本当に全力で買った。たしか銀行口座には1万円くらいしか残っていなかったように思う。不安を紛らわせるため、それまで以上にみずほスレの住人たちとみずほ談義に花を咲かせたものだった。大学の行き帰りにはずっと携帯でみずほスレを読んでいた。旅行先でも見ていた。みずほスレにはいろんなコテハンがいて(当時僕もチラッとコテだった)、四六時中くだらない話をみんなでしていた。
ある時、あるコテが失恋をして酔っぱらい、自分の個人情報を全部みずほスレに書き込むという事件があったのだけども、みんなでそのコテが落ち着くまで慰めたりとかしていた。このことは当時のみずほスレの雰囲気をよく表している。凄くアットホームで居心地の良いスレだった。もうあんなスレは株板のどこにもないけれどもね。
それで思い出したんだけども、みずほスレには今をときめく課長ことcisが度々煽りに来ることがあった。課長は当時、株で勝てるようになって間もない感じの頃で、その少し前までは富士通や日立なんかでいつも損しているキャラだった。そのとき課長はUFJを全力二階建てをしていた。銀行株は全部爆上げしたのだけども、UFJはもっとも大きくリバウンドした銘柄だった。場中に「UFJ>みずほ」の上昇率になると、課長がアットホームなみずほスレに乱入しては全力で煽っていたなぁw その頃から課長は凄かったけれども、今みたいなまでになるとは思わなかった。というか、株の短期売買でウン十億を稼ぐというリアリティがまだ誰にもなかった時代だったと思う。BNFでさえ数億だったはずだし。
僕が株で勝てるようになった直接のきっかけっていうのはBNFの書き込みだった。あの書き込みをリアルタイムで読んでいなかったら、株で勝てるようになったかどうかわからない。株に対する考え方を全部書き換えてくれたのがBNFだった。その意味では2chには今でも凄く感謝している。
なんだか、とりとめのない話になってしまったけど、思い出ってそういうものだと思う。本当にいろんなことがあったなぁ。喜怒哀楽どの箱にも山盛りの思い出が詰まっている。10年前、すべてが未来だったあの頃、僕には株も2chもキラキラと輝いて見えた。次の10年後にも少なくとも株には同じ感慨を持てるようにありたい。