よく「公正な市場」って言葉を耳にするけど、「公正」ってどういうことだろう。公に正しいと書いて公正。皆が皆、正しいと信じられる状態のことだと思うんだけど、立場が変われば付随して正しさだって変わってしまう。万人に共通の正しさなんて存在しない。でも、それだと世の中が混乱してしまうので共通の正しさ(公正)を近代に人々はでっち上げた。それは手続きの正しさでもって正しさ(公正)を担保しようじゃないかって考え方だ。警察が正しく捜査して、検察が正しく起訴して、弁護士が正しく弁護し、裁判が正しく開かれ、そこで出た結論は正しい(公正)ということにしましょう。という言わば決まりごとなんだけど、公正を謳う市場の本丸である東証がその正しさを担保してきた手続きの正しさを放逐しやがった。改まって考えるとすげーなしかし。手続きの正しさが放逐されたあと、正しさが消滅するならまだしも、決して消滅はしない。正しさの一人歩きが始まる。正しさの源泉、根拠を失ってなお存在するのだ。言うなればゾンビ化。こうなってくると厄介で対処法なんかほとんど見つからん。どうすんだよ、おい。正しさを濫用できるなら無敵じゃんか。西室は東証を深い眠りから覚醒させやがった。巨神兵のイメージ。なぎ払えってか。一体何を?
継ぎ木で議論を続けると、かつて竹中平蔵は広告代理店(もち電通)にIQの低く経済的に困難でない人間をだまくらかす方法を模索させ、郵政民営化選挙で一応の成功を得た。他方ミラーマンこと植草教授は「りそなショックこそ大疑獄だ。これはインサイダー以外のなにものでもない」と宣ったしばらくあとに痴漢で逮捕され未だに自分は冤罪だと叫んでいる。真実なんて民草なんかに分からないし、分かったところでどうにかなるもんでもないけど、舐められてるって感覚は感じちゃうんだよなぁ。無茶苦茶やってもアホばっかだしセーフセーフ。みたいな感じか。目真っ赤になって突進して来ても「なぎ払えっ!」すれば良いしみたいな感覚。なるほど読めたぞ。なぎ払われるのは俺たちってことか。
これまでの枠組みがぶっ壊れ、波間にたゆたう小舟のように混沌が支配する世界の中で何を頼りにバランスを保つのか。難易度MAX。いわば乱世。いまだ奸雄は現れず。ひょっとしてもう詰んでたりするのかね。やりきれなくなるからそんなことは考えないようにするけど、日興の件でいろんなことが再認識できた。この状況で最善なレスポンスって一体どういうことなんだろう。本心では巨神兵と入れ替えに「冬眠」に一票入れたいんだけどなぁ。